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ノートはきれいに使うもの?

 生徒の自己学習ノートを見る機会があります。答えのみを書いてあるもの、問題文から解説まで丁寧に色分けしてまとめてあるもの。人それぞれ性格が表れていて興味深いものです。最近では東大生のノートなる本まで現れ、ノート作りが成績を左右する要素として注目されているようです。

 そもそもノートの意味は何なのでしょう?

 多くの生徒は重要なことを記録・まとめをして、忘れたときに見直すツールとして使っているようですが……実は、自分でまとめたノートを見直す学習をしている生徒をあまり見たことがありません。せっかく丁寧に作ったノートが学習に活かされていないことが多いのです。

 なぜ、一生懸命に作った授業ノートや自己学習ノートを見直さないのでしょう?

 これは推測ではありますが……自分で考えてポイントを絞り、わかりやすくまとめたものでないから、乱暴に言うとわかりづらく面倒くさいから読み返す気にならないのではないでしょうか。

 大切なのは、一生懸命考えた結果がノートに表れているのかどうか。東大生のノートが素晴らしいのは、自分の頭で考えて整理してノートに表現しているから。あまり考えずにそのノートの通りにまとめたとしても、おそらく成績には反映されないでしょう。ならば、ノートは考えるステージだと割り切ったらどうでしょう。

 だとすると、きれいにノートを作る意味はあるのでしょうか?

 こと算数・数学に関しては、ノートをきれいに使う必要はありません。考えることが好きな子のノートは雑なものです。計算過程や図表、言葉の説明など書きなぐりが所狭しと並んでいます。

 テストを受けるのはノートではなく自分の頭。ならばノートは頭に負荷をかけ躍動させる運動場とでも考えたらどうでしょう。

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